人智学(神智学)者 シュタイナーの1916年(補遺は1919年)に行われた講演を元に書かれた本。
職業について行き詰まりながら、図書館を徘徊していたとき、ふと目に留まった本。
こうして出逢う良い本もけっこう多い・・・ それを「偶然ではなく必然(シンクロニシティ)」と思える方が幸せなはずだ。
百年近く前に、現在の労働、職業にまつわる惨状を見事に予見している。
しかし内容は結局、今の自分の迷いに指標を与えてくれるようなものではなく、どちらかというとスピリチュアル、神智学について語っている(ように今の自分には思える)。
よって、そういった方向で感じ入る部分をメモとして残すことにした。
今の自分の状態では、深い部分で「職業のカルマと未来」を引き出すことができないが、以下の抜粋を何度か読むうちに、きっとヒントが導き出せるのだろう。文中の「~」は中略していることを示す。
最初のは、「引用の引用」になってしまうが・・・
----- ここから引用 -----
■「ゲーテの自然観」より
(ゲーテ 『ファウスト』 第一部 「森と洞窟」)
崇高な霊よ、おまえは私が頼んだものを
すべて私に与える。おまえはいたずらに
火のなかで私に顔を向けたのではなかった。
おまえは私に、素晴らしい自然を王国として与え、
それを感じ、享受する力を与える。
冷たい驚きの目で訪れるだけではなく、
友の胸のなかを見るように、
自然の深い胸のなかを見ることを、おまえは私に許す。
おまえは生命あるものの群れを
私のまえに導き、
静かな潅木のなか、空気のなか、水のなかにいる
私の兄弟たちを私に知らせる。
そして、嵐が森のなかを吹き、鳴り、
大きな樅が隣の枝にぶつかって、
隣の幹を押し潰しながら、
倒れるときに、丘は鈍く虚ろに響く。
そのとき、おまえは私を安全な洞窟に導き、
私自身を私に示す。
そして、私自身の胸に秘められた深い驚異が開かれる。
■「眠りと目覚め」より
~ ある意味で、おもに頭に結び付いている私たちの感覚知覚が〈夜〉のとき、他の人体部分は〈昼〉なのです。私たちの頭が〈昼〉のとき、他の人体部分は〈夜〉です。
■「叡智の働き」より
~ 「叡智は人間をとおして世界に到来しただけではない。叡智は全世界をとおして躍動する。人間は他の存在以上の特別の有機的構成をとおして、この叡智を知覚する役目があるのだ」と認識すると、ものごとが解明されます。
~ 叡智の作用によって超常的な現象が引き起こされると、私たちの目のまえに広がっているものより重要でないことを真剣に取る人は熱中します。私たちの目のまえに広がっているもののほうが、ずっと重要です。
~ 動物は人間よりもずっと強く世界の叡智に結び付いています。動物は世界の叡智に紡ぎ込まれています。
~ 客観的に支配する理性を考慮して、「私たちのまわりには空気と光があるだけではない。いたるところを理性が統治している。私たちが歩くとき、光に満ちた空間を通っていくだけではない。私たちは叡智の空間、理性が支配する空間も通っていくのだ」と、私たちは思います。
■「夢見る能力」より
私たちが周囲との関連を保って、夢見るまで目覚めていられると、私たちの本質と周囲との関連について非常に多くを語れるでしょう。夢を見るまで目覚めている必要があるだけです。そうすると、途方もない体験が現われ、それを叙述することもできます。
~ 夢見るために用いる力は、まず外界のなかで他のものに用いられねばなりません。そうすることによって、この他のもののなかに、地球のさらなる進化のための基盤が作られます。もし、すべての人間がいま述べた仕方で夢見たら、地球進化は停止するでしょう。
■「元素存在」より
文科高等学校に入り、すこし大学を見まわし、多くの表象を自分のなかに受け取った人は、非常に賢く見えがちです。そのような人が、すべてがどうなるべきかを語れる、人類の改革者のようにふるまいます。そのような人が、たくさんいます。彼らは普通、これからどうなるべきかを、非常に愚かに語ります。人々はそのような識者たちを非常に尊敬するので、そのことに気づきません。
型にはまった校長・著述家・新聞記者が人生の関連を最も理解していないということを、人々が多かれ少なかれ感じる時代がやってくるにちがいありません。そのような判断が、しだいに形成されていくにちがいありません。
■「職業生活と宗教」より
大事なのは、人間の視点が広くならねばならない、ということです。つまり、漠然と表象される唯一の神ではなく、いたるところに具体的な霊性が存在するということです。万力を見て、「火花が飛び散るように、元素霊たちが作り出される。その元素霊たちは宇宙プロセスのなかに移行し、宇宙プロセスのなかで活動する」と知らなくてはなりません。
■「機械の動かし方」より
人間の意志と志向のなかに存在する精妙な脈動が、人間が作り出すもののなかに織り込まれ、組み込まれていきます。調合した素材を誰から受け取っても同じではなくなります。
最も外的で冷たい技術の発展さえ、一定の目的に向かっています。今日、技術の発展を予感的に思い描ける人は、「将来、工場全体が指導者によって個性的に作動するようになる」ということを知っています。志操が工場のなかに入り、それが機械の働き方に伝わります。私たちの触れるものすべてに、次第に人間の本質の模像が刻印されていきます。
今日の賢い人々には愚かに思えることが実現する時代が来るでしょう。パウロは、「人々が賢いと思うことは、しばしば神のまえでは愚かだ」と言いました。人間は手の動きをとおして空気の振動を起こし、一定の合図でモーターを動かし、別の合図で調整するようになるでしょう。
経済の発展によって、外的なパテントなどは完全になくなるでしょう。そのようなものは、私がいま述べたものに取って代わられます。人間の本性と関係しないものは、すべて閉め出されるでしょう。
本当に善良な人間、特別に高い志操の人間には将来なにができるか、一度考えてみてください。そのような人は機械を組み立て、その機械のための合図を決めることができるでしょう。彼と同じように善良な志操の人々のみが遂行できる合図です。邪悪な志向の人々は、その合図をしても別の振動を引き起こし、機械は動かないでしょう。
■「職業人の情動」より
昔、金儲けをしようとした錬金術師は何も達成できませんでした。金儲けをする気がなく、神々の栄光と人類の安寧のために秘跡を行おうとした錬金術師は、同様のプロセスで何かを成し遂げました。
職業・仕事から生じるものは、人間の情動のオーラ、人間が努力して手に入れた喜びをまとっているいるかぎり、私がいま述べた作用を受けませんでした。職業・仕事をとおして生じるものが、もはや特別の感激をもって作られなくなる分だけ、人間から流れ出すものが発動的になることができます。人間は自分の仕事から現れる機械的な世界、自分の仕事に用いる機械的な世界に、もはや自分の情動を結び付けることができません。
喜ばしい職業・仕事から、自分の人間的な熱を事物に与えることは、将来不可能になるでしょう。その代わりに、事物をより純血に世界のなかに存在させることになります。そうなることによって、いま述べた方法で人間から発する力に敏感になるでしょう。
人間の進化にそのような方向を与えることのできるものは、精神科学によって精神的な力を具体的に認識することから生じます。そのようなことが生じるかどうかは、「あらゆる職業・仕事を越え出ると同時に。あらゆる仕事に浸透できるもののなかで人と人が共にいられる」という対極を、世界の多くの人々が見出すかどうかかかっています。人間の共同生活を築き、あらゆる職業の人々を結び付けることが精神科学運動です。
職業の発展における純粋に外的な進歩は、人類の絆すべてを解消に導くでしょう。その外的な進歩によって人間はますます理解しあえなくなり、人間の本性に相応する関係を発展させられなくなるでしょう。人々はますますすれちがうようになり、自分の利益しか求められなくなり、競争以外の関係を築けなくなるでしょう。そうなってはいけません。そうなると、人類は完全に退廃するからです。そうならないために、精神科学が広まらねばなりません。
■「悪魔的なものの危険」より
今日、本人は否定しても、多くの人々が手に入れようと無意識に努力しているものを正しく指摘することができます。
今日、「霊的なものについて語るなんて、ばかばかしい。我々は純粋に物質的な科学を、あらゆる領域で発展させる。それが人類の進化というものだ。それが本当に人類を前進させる。人間が成長して、霊的なものごとについて無駄話をするのをやめれば、地上に楽園ができる」という人がたくさんいます。しかし、そうすることによっては、楽園は地上にやってきません。競争だけが人類を支配し、利益追求に熱心になるなら、地獄がやってくるでしょう。
先に進むには、別の極がなくてはなりません。精神的な極を探求しないと、アーリマン的な極が力をふるうにちがいありません。
~ 解き放された職業・仕事から作り出される元素霊たちは、人間の心魂が精神的領域へと上昇する衝動から受け取るものによって実りをもたらされねばなりません。
■「公職・官職」より
ダーウィン主義は正しいのですが、それを唯物論的に解釈して、ヘッケルの弟子オスカー・ヘルトヴィヒが強く非難した「最良のものへの自然淘汰」のような生命の教えが現れたのが現代の特徴です。このような教えが現れた時代には、他の時代における生活に比べて、まさに最悪のものが選び出されます。厭世家のように今の時代を非難し、古き良き時代を引き合いに出す必要はありません。「最良のものへの自然淘汰という教え」を人間は自慢しています。しかし、この教えを自慢する時代は、実際には、最も重要な地位に最悪の人を選ぶという傾向に支配されているのです。
■「フィッシャーの小説」より
~ 夢は次の夜に追憶として現れたのですが、同時に、人生を訂正するのです。
実際、そのようにアストラル体は作用します。そして、人生の経験から、なによりも誤った教育から心魂のなかにもたらされたものの残滓のかたわらで、意識下の心魂のなかに訂正者がいることを、人々は見出すでしょう。子どものころのことなら、しばしば同じ人生のなかで訂正が行なわれます。しかし何よりも、その訂正者は死の扉を通って運ばれていき、さらに作用します。本当に、人間の自己訂正者が存在するのです。これに私たちは注目しなければなりません。
■「人生の形成と改造」より
ですから、「物質的身体は人生の状況を作る。個我は人生の状況を改造する」と、言うことができます。この二つが引き起こす戦いをとおして、別のカルマの流れが人生に介入します。人間のなかには、人間を一定の状況のなかに保とうとするものと、一定の状況から人間を取り出そうとするものが存在するからです。
1 物質的身体 人生の状況を作り出す
2 エーテル体 形成する
3 アストラル体 改造する
4 個我 人生の状況を作り変える
「まず、1と4、2と3が相次いで作用する。しかし、さまざまな方法で、これらの弦はふたたび協同する。私たちが自分のカルマにしたがって、人生で新しい人と関係を持つ仕方は、1と4の関連に拠る。それは、私たちの前世における人生の関連に遡る。私たちが仕事・職業と人生との関連を見出すのは、2と3と、その相互作用に拠る」と、私は言いたく思います。
まず、これをよく考えてくださるよう、お願いします。
■「七~一四歳と一四~二一歳」より
いつか世界中の文化が輪廻転生を計算に入れるようになり、「もう空想的な理論を立てない」と決心できれば、未来の教育制度全体に非常に実り豊かな思想が生じるにちがいありません。いまの理論は本当の現実を計算に入れず、現実の一部のみ、つまり誕生から死までの人生しか計算に入れていないので、空想的にならざるをえません。
■「ブルジョアと巡礼者」より
どのような流れがポスト・アトランティス第五時代とともに到来したか、その特徴を私は描こうとしました。おおよそにことを言うと、西方には人間をブルジョアにする流れが到来しました。ブルジョア精神が西欧とアメリカに現れました。東方の目的は、このブルジョア精神の理想と対照的です。それは、まだはっきりと現れていないので、当面は目的です。西方文化は比較的進んでいます。東方の目的は、巡礼者という理想です。
ブルジョアと巡礼者という二つの理想が対立しています。それがどんな意味を人生に有するかを理解せずに、これからの生活を理解することは不可能です。何百年前・何千年前の人間は神的・霊的な力に導かれていたので、理解なしに人生に向き合うことができました。これからは、人間は人生を理解して生きていかねばなりません。
■「ミルの見解」より
しかし、近代の発展のほうぼうで、ものごとを輪廻転生の観点から解明するには到っていないながらも、生起することがらをはっきり見る目を持っている人々を、私たちは見出します。彼らは輪廻転生を受け入れないので、自分が鋭く批判しているものを引き起こすのに寄与するはめになっています。
これが今日の人間の特徴です。ものごとをはっきり見ている人々の特徴です。彼らは、今日存在しているものを批判します。しかし、彼らは自分が正しく判断して非難しているものが実現する方向で活動しているのです。このように、無意識的な衝動が人間生活のなかに働きかけます。
■「ミル、ヘルツェン、メレジコフスキー」より
彼(ヘルツェン)は周囲にあるものをよく見た人物ですが、精神科学の根本的な表象と理念を受け入れる決断はできませんでした。ロシアの著述家メレジコフスキーは、「現代には、古代の笏の代わりにものさし、聖書の代わりに預金通帳、祭壇の代わりにカウンターがある」と述べています。彼はミルとヘルツェンから多く学んだ人物です。
たんに批判するのは間違っています。ポスト・アトランティス第五時代に、ものさし・預金通帳・カウンターは必要な役割を果たしているし、それは無条件の宇宙カルマに相応する、ということを私たちは知っています。これらを批判するのではなく、ものさし・預金通帳・カウンターのなかに精神を注ぎ入れることが大事です。その精神がこれらのものに勝ります。それは精神科学の精神です。
■「オカルト結社による妨害」より
彼らは、先祖返り的な伝統から受け継いだものを語っています。しかし、彼らはその知に反対するようにふるまって、「それは中世的な迷信だ」と、新聞に書きます。秘密結社のなかで受け継がれた霊的な教えを大事にしている人々が、マスコミでは正反対にふるまって「中世的な迷信・神秘主義だ」と評するのです。彼らは、その教えを人に漏らさず、他人を愚かなままにしておくのがよい、と思っているからです。どんな原則によって人間が導かれているのか、人々を無知のままにしておきたいのです。オカルト同胞団のなかには、世界をよく見て、「密儀の内容を今日おおやけに人々に伝えるのは不可能だ」と語る会員たちがいます。
人々を五里霧中のままにしておくには、いろいろな方法があります。本当の精神科学は、精神科学への鍵となる理念を私たちに伝えます。しかし、自然科学的な世界観によって悟性を浅薄にされていない人々をも騙せる概念があるのです。一定の方法で概念を形成できるのです。今日、おおやけの概念がどのように形成されるかを多くの人が知ったら、本当に精神科学への衝動を感じるでしょう。
■「事件の背景」より
まなざしを正しい場所に向けることが大事です。そうすると、しばしば重要でないものが現れますが、重要でないものを正しい関連で眺めると、重要と思われるものよりも、ずっとよく問題を解明できます。ハムレットが善悪について「なにも、それ自体で善かったり悪かったりはしない。人間が思考のなかで、善くしたり悪くしたりするのだ」というように、他のことがらにおいても本当にそのとおりです。
外面的なマーヤー・錯覚になかに現れるものごとが重要なのではありません。人間が正しい概念を事物に結び付けることをとおして、事物の意味が認識されねばなりません。
■「辜鴻銘(ここうめい)」より
精神科学の視点から、辜鴻銘の本のような現象を追求する義務を私は感じました。場合によっては、その現象の背後に秘められた意図があるのを知る必要があります。その意図を知らないと、騙されて、間違うことがあります。今日しばしば濁った源泉から現れる神秘主義・オカルティズムに入念な視線を向けることが特に重要です。
現代の世界のなかには、さまざまな流れがあります。個人個人がそれらを明晰・明瞭に見る意志を持っているでしょうか。さまざまな流れの差異を知らねばなりません。人々が思っているよりも大きな力を持っているカトリックから発する流れの背後には、秘儀参入の原理があります。世界にもたらされる流れは、背後に結わわれた紐によって導かれています。
■補遺・楽しく働ける社会「労働」より
社会に属する者は実際、だれも自分のためには働かないというのが、その社会の根本法則です。社会有機体に属する人間は、自分のために働いていないということに気づきます。
~ これは倫理的な利他主義の要求ではありません。これは単に社会法則なのです。
~ 人間の労働が社会有機体のなかでどのような循環プロセスを実際に行なっているかを調べてみると、「労働はある人から発して、他の人の役に立つ。私たちが手にするものは、他の人の労働の成果なのだ」ということが見出されます。
~ 「私は仕立て屋で、他人のために服を作っている。だが、自分の背広を作ったら、私の労働は私自身のためになされたものじゃないか」と、反論されることがあります。自分の仕事の結果が自分に戻ってくると思うのは、錯覚でしかありません。私が自分の上着やズボンなどを作るとき、私は実際には自分のために働いているのではありません。私はその仕事をとおして、自分を他の人々のために、さらに働ける状態にしたのです。それが、社会有機体のなかで人間の労働が社会法則をとおして有する機能なのです。
この法則に違犯する者は、社会有機体に反して働いているのです。近代の歴史のいとなみのなかで生じたように、賃金労働者が自分の労働力による賃金で生活するのは、社会有機体に反対して働いていることになります。そのような労働は社会的な嘘であり、破壊的に経済活動のなかに侵入してきます。
~ 経済有機体はいつも、人間の労働力を消費しようとする傾向を持っています。法律は労働力に、本性に即した利他主義的な姿勢を教示しなければなりません。そして常に、新しい具体的な民主主義的な法律によって、経済活動が実現しようとする虚偽を経済活動から取り去り、人間の労働力を経済活動の牙から公法によって救い出すことが必要です。
----- 引用ここまで -----
1861-1925年に生きたシュタイナーの書いていることは、五井昌久氏の著書に書かれていることや、ニール・ドナルド・ウォルシュ氏の『
神との対話』や『
変えれば、変わる』などの著作に書かれていることに合致する。
もちろんはるか昔のさまざまな賢人の言っていたこととも同じなのだろうが、シュタイナーの本を読んでいると、今まで読んできた数々の本、そしてマトリックスなどのいろいろな映画のイメージが鮮明に蘇る。
しかし、何度、どのような書籍によってその感覚を補っても、あまりにも大量の外的ノイズによって忘れてしまう。左脳にオーバーフロー気味に価値の低い情報が流れ込み続ける・・・
それを右脳の活動でリセットし、本来の中庸の状態に近づけなければならない。しかし、現代人にとって睡眠だけではまったく追い付かない状況なのだと思う。
先日感動した『
スーパープレゼンテーション「奇跡の体験を語る」』は、それを具体的に語ってくれていた。
そして今、手にしている本は同じくシュタイナーの『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』。
冒頭、「第三版のまえがき」に、このような右脳的情報の収集方法が書かれている。
何度このような本を読んでも、単なる確認作業としか思えないこともあるが、ある状態まで達しない限りは、常にこういったパズルのピースを、それがたとえ同じピースの繰り返しでも続けない限り、左脳になだれ込む情報に一瞬で押し流されてしまうのだろう、、、
10/3追記)和訳が直訳すぎて理解しづらいところが多々ある。このような本の場合、直訳の方が、訳者の思い込みなどのフィルターがかかるのを防ぎ、読み手は大変ではあるが「魂」も交えての変換作業が行える分、誤解は少なく済むのだと思う。
ただ、自分としてはかなり重要な部分、7~14歳、14~21歳について書かれている部分についてはどうしても書かれていることが読み解けなかった・・・
7~14歳は前世の職業の結果が現れていて、14歳からは前世からの衝動は薄くなり、新しい職業の道に導かれる・・・ これで合っているのだろうか?
結局、現世で選ぶべき職業は、前世の延長が良いのか? まったく新しい別なことが良いのか?
ガンダムの富野由悠季監督は、11歳頃夢中になっていたことが「天職」につながる、と確かどこかで書いていた気がするが・・・(
ここでしたー(^^;) どっちなのだろう、、、
世界人類が平和でありますように