東国三社巡り! (2018/3/3) |
今一度、ちゃんと観じようと宣言通り行ってきました、東国三社巡り。順序は昔の例に倣って鹿島神宮、息栖神社、香取神宮の順。
鹿島神宮は、前回から2年も経っている気がしない、、、 やはり今の生活スタイルを見直すべき時期のようだ・・・
前回同様、参道手前の無料駐車場に駐める。待ちのクルマはいないが、ほぼ満車状態。
カメラは、諏訪の失敗から、もう一度自分の好きな写りの傾向を再確認すべく、XZ-1。
鹿島神宮境内は隅々まで完璧に整備されており、見事としか言いようがない。
この日はとても暖かく、上着をクルマに置いていこうか迷ったものの、そこはやはり裏切らない? 境内に入ったとたんヒンヤリ。
森の放つマイナスイオンか、それとも強大な神力の顕れか・・・
鹿園の横には親鸞上人旧跡。鹿園の辺りには昔、関東でも有数の経典の宝庫、鹿島山金蓮院神宮寺があり、親鸞上人がたびたび訪れていたとのこと。
本来は神道も仏教もなく、真理はひとつ・・・ というと変な限定になる・・・ 「全て」が真理であり全ては「ひとつ」・・・ そんな世界観がこの境内にもあったのだろう。
今となっては、空海や親鸞がたどり着いた真理は、常に見えているし「分かっているはず」なのに、識ることが難しい・・・
当たり前の真理を隠さず共有できれば、戦争なんてあり得ないだろう。巧みに「当たり前」が一部の大人の利益のための「建前」で隠されている・・・ 識っていながら私欲を優先してしまうとても優秀な頭脳が「それ」をしている、、、
今回も参道では至るところに「蛇」を感じる・・・
今回は、青い空も見えていて、前回の白黒写真みたいな「非現実感」はないが、、、
諏訪大社を訪れたことで少し敏感になったのか、拝殿に向かっての眉間のうずきは耐えがたいほどだった・・・
写真は奥宮だが、その感覚はなぜか拝殿の方でピークだった。
こういった大きな神社でこのような感覚を得るのは珍しいこと、、、
結局、自分の感覚は自分が引き起こしているもの・・・
ご祭神も含め、この空間そのものにとても共鳴できたのかもしれない・・・
要石から戻ってきて臨む奥宮に息を呑み・・・
やはりいつ見ても圧倒される御手洗池の鳥居。
鳥居の上の巨木は何の木なのだろうか、、、 と調べていたら、「鹿嶋デジタル博物館」HPの記事に椎の木とあった。
なんて動きのある・・・
大蛇か龍か、といった体で・・・
今回は、ここの一休(ひとやすみ)で、湧水せいろと鹿島灘産わかめそばをいただいた。とてもやさしい味で、美味しかった。
やはり、鹿島神宮は鹿のモチーフがあとの2社と比べ少ない・・・
ただ鹿園の鹿は、けっこう絶え間なく参拝客にえさをもらっている。
続いて息栖神社へ。
こんなに近かったんだ(^^;
相変わらず2本のピースポールが出迎えてくれるし、ここはいつも落ち着いてほんわか暖かいイメージ。
あんなところに榊があれば、単なる邪魔な鉄柱ではなくなる・・・
鹿の灯籠がなぜか鹿島神宮より目立つ。
二の鳥居越しの一の鳥居。
ご祭神、久那戸神(くなどのかみ=岐神)はサルタヒコと同一であるようだが、今回、分かったのは、真理はひとつ、全ては同一ではないかということだ。全ての神、そして人も・・・
ほぼ戻れないほどに細分化されてしまった(と思い込んでいる)われわれだが、そもそも頭からすぐ下はみんなつながっている、というか同一であり、同一のベースからちょっと個性的な成分が頭の方に流れ込み、形を成しているだけだ。神に至っては原初に近づけば近づくほど、それは同一の色が濃くなっていくのだろう。われわれはそれに無理に別な名前を付けて区別しようとしている・・・
ここを訪れたら、忍潮井(おしおい)と広大な川と土手を見ないで帰るわけにはいかない・・・ ところが!
忍潮井の入口が鎖で閉鎖されていた。釣りが危険と書かれてはいるが、釣りは脇でも可能・・・
心ない参拝者が多くいたのだろうか、、、
ここ数年の間に、普通に入って観ることができていた楽しみだった場所が、どんどん立ち入り禁止化されている・・・ 気のせいだろうか、、、
ちなみに駐車場ではハスラーの隣に駐めたのだが、それがウチのハスラーと、ナンバーの1桁目だけが1違いという奇蹟(^^; 帰りはすでにいなかったが、、、
そして「鹿」バリバリの、香取神宮へ。3時半ごろ到着。
これまた、クルマなら近い!
実はここに来て早々、XZ-1の電池がなくなったが予備電池が死んでいて交換できず・・・ ここから結局STYLUS 1s(^^;
参拝して、奥の鹿苑へ。途中の寒香亭は変わらぬ風情で建っていたが、鹿園へは前回の記憶を上回る足場の悪さと、寂しさ・・・ボランティアの方がいないと、鹿に近寄ることさえできない・・・
香取神宮は、今は何か静止しているようなイメージを受けた。しかし、フッと浮かんだ・・・ これは「木」のイメージなのだろうか、と。「動き」や「熱量」は感じないが、「何か」はある。悪くいえば、前回訪れたときからいろいろな部分が放置されているように感じられるが、良くいえば、ありのままの自然で、房総でよく見かける「自己責任」のイメージにつながる・・・ とても「千葉らしい」神社なのかもしれない。そして、もうずいぶんお参りしていない(いや、「行けない」のだ・・・)が、なぜか麻賀多神社を想い出していた。もしかして、共通するのは、見かけにだまされてはいけないってことか?
この2社は、まだ自分のレベルにはちょっと早いのかもしれない、、、
・・・↑と書いて、しばらく続きが欠けずに放置していた、、、 違和感を文章にできずにいたが、あとで調べて分かったのは、ここの鹿さんたちは、今大変な目に遭っているらしいということ、、、
香取神宮としては、もう鹿の飼育はできないようだ。
事の本質までは分からないので、この件についての判断は避けるが、結果的に関わる命のすべてが幸せであってほしい・・・
この灯籠だけ、とても特殊だったので撮ってきた。
ものすごいボリューム感!
「逆さ獅子」らしい・・・ それについても今後調べよう・・・
要石を手前から臨む。とても厳かな空気・・・
そして奥宮。
自分には「何か」を感じられるわけではないが、この厳かな雰囲気に、畏敬の念を抱かずにはいられない。前回は雰囲気に圧倒されて鳥居の奥にカメラを向けられなかった、、、
近くには小さな梅園もある。時間も遅かったが、こっちまで回り込む参拝客はいなかった・・・
奥宮からクルマで通り抜け不可という細い坂道で参道に戻る。ハスラーなら十分通れそうだが、、、 と思ったら、最後の最後にトラップが(^^; ジムニーならいけるかも・・・
5時前に参道に戻り、ギリギリで焼きだんごゲット。
帰りは道の駅 水の郷さわらに立ち寄り、たくさんの水鳥さんたちと戯れ、野菜や半額になった美味しいお弁当などを夕飯用にゲットし、高速であっという間に帰宅。
今回、感じたのは上でも書いたが、現在の「見かけ」で単純に判断してはいけないんだな、ということ。
諏訪大社や息栖神社は、分かりやすく「本質」が残されているが、よくよく見れば鹿島神宮も香取神宮も同じ本質を残しているし、根元を観ればみんなつながっていて、混ざっていて、同一だ。それは神社や仏閣に限った話ではない・・・ われわれ人間のすべて、香取神宮の鹿も含めたすべてにおいて、そうなんだと、今さらながら再び(?)ぼんやりと感じている・・・
そろそろ円軌道から、らせんの上昇に転じなければ、同じ気付きを何度も何度も繰り返しながら人生を終えてしまいそうだ、、、
そこは大好きな番組「こころ旅」でも2014年(351日目)に訪れてて、気になる場所・・・ 機会あればよろしく!
あ、「にっぽん縦断 こころ旅」、来週からまた始まるよ(^^;
それも黄色。それもGターボ4WD。アルミホイールやサイドミラーウインカーの不要など全く同じ。特別仕様車のグリルが気に入らないところも同じです。
とても参考になりますー。
ちなみに、燃費はどうですか?
燃費ですが、燃費計を見ていて何となくの値になってしまいますが、街のチョイ乗りばかりだと14~15km/l、長めのドライブでは16~18km/l、高速使うと伸びない、って感じです。
もっとスゴい数字叩き出してる方もいますよね(^^;
ハスラーライフ、ぜひ楽しんでください(^^
そしてたくさん乗ったら、燃費教えてくださいね(^^;