諏訪大社 & 初の諏訪湖で御神渡り! その2(2018/2/18) |
そもそも迎合の理由がいまひとつ、、、な新暦の正月に、押し合いへし合い初詣に行くのは避けて、今年のメイン初詣は旧暦にしてみよう、と思ったのに、実は1月4日に期せずして神田明神に30分ほど並んでいたという・・・(^^;
それはともかく旧暦初詣の候補としては、今まで行けていないがとっても気になっていた、日本古来の土着の神を実質置き換えられずに祀り続けている(と自分が勝手に感じる)神社にと思い、「ミシャグジさま」の諏訪大社にお参りすることに。というワケで神田明神つながりの洲崎明神はお預け・・・
カメラは「失敗しない」STYLUS 1sのみで・・・ のはずが、あとで写真を見るとこのカメラ、裏面照射CMOSだっけ? というような暗いところのメリハリに欠ける写真を連発・・・(´д`)
補正すれば・・・ って、撮影に時間もかけられないし、ここゾというときは、やはり重くても一眼にすべきと反省・・・
というワケで(?)、今回は逆光推しで(^^;
神=光に見立て・・・
着いたのは1時半。北参道側の駐車場に駐め、境内をのぞき見ながら見上げる建物や木々の何かに圧倒され、泣きそうになる・・・ 泣きそうなのは寒すぎるからか(^^;
しかし長野の寒さをナメていた・・・ 久しぶりに「顔が痛い寒さ」を味わうも、参道のお店で美味しい天ぷらそばをいただき、身も心も温まる。
北参道からすぐの境内、雪かきのあと。このときは後ろの一之御柱に気付かず、、、
天流水舎脇から拝殿方向を見上げて・・・
単なる逆光失敗写真なのだが、光の回り方が面白かったので・・・
この階段の先の四脚門は、大祝(おおほうり)だけが硯石 (すずりいし)に登るときに通ったとのこと。
東参道側の鳥居はとても趣がある・・・
こちらが本来の正面か?
湖と拝殿の位置関係は真逆だし、いろいろと配置が気になる・・・
拝殿は「神居」の森を向いているが、その先は前宮方向?
二之御柱。
大迫力。宿神は蛇であり、そして・・・
どこへ行ってもヘビ、龍にたどり着く。自分が追いかけているだけかもしれないが、、、
境内の雰囲気は、清々しさという点では岩木山神社のよう。古の信仰を絶やさず守り続けているのはもちろんまったく一緒。ただ、岩木山が母のイメージで、こちらが父なのは、単に御柱のせい?
そして本宮と前宮は、岩木山神社と厳鬼山神社(がんきさんじんじゃ)の関係に似ているようにも見える・・・
巨大な太鼓を内包する神楽殿が超カッコイイ!
水はすぐ凍る・・・
残雪はカチンコチンで、撮影に気を取られ何度かコケそうに(^^;
神楽殿脇には形の異なる小さな鳥居。もしかして四脚門と対で、大祝が通っていたのだろうか・・・
島木という上の部分の無い鳥居って、どんな意味があるのだろう・・・
ちなみに、本宮東参道脇をちょっと上がると、神仏分離令により棄却取り壊しとなった「神宮寺」跡。これ見よがしに「明治維新前の諏訪大社と神宮寺」の看板が設置されているのも興味深い。(ミ)シャグジさまありきの神宮寺か、神宮寺あっての(ミ)シャグジさまか・・・ このあと、いよいよ自分の中ではもっと期待感のある前宮へ。あえて前宮を後にしたのは、前宮でなにか違いを感じられるかもしれないかも、というかすかな期待から・・・
さて、前宮へはあっという間。だがやはり、本宮に比べ参拝客はとても少ない・・・
が、ここも寒いっ(^^;
手水舎のつららって、初めて見た。なんとひしゃくにまでつららが(^^;
ところが、そこからとても古いままの狭い参道を登ると、、、
なんと、無風・・・!
まず、「水眼」(すいが)の大きな水流の音を聞きながら坂道を上り、雪に囲まれる小さな本殿にお参り。さっきまで、手を露出すると痛いほどだったのに、本殿前で手を出して合わせたとき、ふっと本殿から温風のようなものを感じ、初めてまったく寒くないことに気付く・・・ 一瞬、戸の隙間からエアコンの温風が出てるのかと本気で思った(^^;
本宮からたいした時間も距離も経ていないのに、しかも小高いとこに上ってるというのに、まったく不思議なことだが、なぜだか妙に納得してしまう・・・
風がないのは、いまこのとき、たまたま凪いでいるのかもしれない。でも自分たちが歓迎されているのかもしれない・・・そう想った方がシアワセだ(^^
しかし、そもそも神社というものが、そういった特別な立地にあって然るべき。聖地とは当然そんな立地のアドバンテージ込みのはず。そして想うのは、この坂の途中などにある家々に、どのような人々が住んでいるのだろうかということ・・・ 少なからず、聖地に関する家系だろうか・・・ なんだかとてもうらやましい。(現実にはいろいろあったようだし、あるのかもしれないが、、、)
一之御柱。ここにも4つの御柱が立つ。
ここ、ちょー気持ちイイ!
暖かさも含めもしかして、この御柱の内側って、スゴいのかな・・・
雪の奥に四之御柱。
そう、本宮より御柱同士近いってことは、4本に囲まれる範囲は狭いし、立地的にも・・・
前宮本殿の説明看板・・・
内容については・・・ 何も言うまい・・・
ただ、どのような想いの下、立てられているのだろう・・・ 分かるヤツだけ分かればイイ、だろうか、、、
三之御柱。
この、そそり立つヘビに「悦び」を感じられるようであれば、それは古来の感覚であり、未来は明るいのではないだろうか、、、
現代では完全に「畏れ」に置き換わっているかもしれない。
二之御柱。
何かを感じられたわけでもないが、いろいろ感じられたようでもあり、、、
やはりキーワードは、「四」だろうか、、、
心残りは、「神長官守矢史料館」に行けなかったこと。
これは十分な再訪の理由。
逆光写真の締めは、前宮拝殿。
ボランティア(?)のおじさん(偉い方だったらすみません(^^;)に促され、みんなといっしょに降臨写真を撮りまくってきました。
帰りがけに社務所でお札をいただいてきました。これはたとえ同じものでもぜひ前宮で、と思っていたので・・・
実は出がけに、タケミナカタとタケミカヅチの関係に配慮して、無関係ではないなと息栖神社のお守りを置いてきたのだが、そんな必要なかった・・・
今思えば息栖神社は堂々と主祭神を久那戸神(クナドノカミ)としていて、それってほぼ諏訪大社とイコールぢゃん! と(^^;
自分の中では東国三社で息栖神社だけ別格なのだが、もしかして鹿島神宮、香取神宮にも同様の何かが隠されているのかもしれない、、、
そして、このあとは湖の西側を回りつつ御神渡りを拝みに、、、
3/1追記)毎日のように加筆・修正しているが、最後にもうひとつだけ、、、
↑に「タケミナカタとタケミカヅチの関係に配慮して」なんて書いているのは、もちろん諏訪大社と鹿島神宮の表向きのご祭神の関係のことだ。しかも、「もしかして鹿島神宮、香取神宮にも同様の何かが隠されているのかもしれない、、、」なんてことまで、、、 なさけない(´д`)
今日、鹿島神宮のもともとの神さまを調べていた。やはり多くの神社がそうであるように「鹿島神」、古くは「香島神」か、、、
しかし鹿島神を調べても、どうもしっくりくる答えがない・・・ で、2年前の自分の書いた鹿島神宮の記事を見てみると・・・
書いてあんぢゃん!!(^^;
もう一度、ここにコピペしておくが・・・
・鹿島神は、もともと常総(千葉北部、茨城南部)地方の土着の神
・鹿島神をタケミカヅチ命と呼んで大和政権に深く結びつけたのは中臣(のちの藤原)氏
・中臣鎌足の出生地は常総地方といわれ、中臣氏一族は古くから守護神として鹿島神を信奉
・ミカヅチはおそらく雷神のイメージからの命名
・もともとは水神(農業守護)であり、また、鹿島が陸と海の境界であり境界神でもあった。
水、境界、おそらくは蛇・・・ 宿神? 諏訪大社といっしょぢゃん! という乱暴なまとめ方は物理的社会(金剛界?)の偉いひとたちに怒られそうだが、この追究は2年前から始まっていたし、しかもすっかり忘れ去っていたのだ(^^; だからブログが必要なのだ(^^;
そして、息栖神社、香取神宮の記事は7年も前だが、このあたりが原点か・・・ 香取神宮は「あたたかい」、鹿島神宮は今回の諏訪大社(本宮)同様に「凍てつく寒さ」というのも面白い・・・ 書いてることも、なんとなくいっしょ(^^;
そして、どこでも共通する「荒神さま」。荒神=あたたかい、か?
まぁ、「行かねば」という衝動は消えなかったわけだが、真理を追究する心も、得たものも、それによる自分のレベルも、すべての事物はアップダウンの波を繰り返す。ビッグバンと同じだ。
このことを、『納棺夫日記 増補改訂版』の作者は、自身の経験としてとても分かりやすく書いている、、、
まぁ、たどり着けそうでたどり着けないのが楽しいし、それを甘んじて楽しんでいるかぎり、絶対到達できないのだが。分かっている・・・
それにしても、鹿島神宮の記事で壊れている写真は、いったいなんだろう・・・
(さらに3/2追記:8枚目の写真のことだが、壊れているのではなく、木々を見上げて蛇を想起する良き写真でした(^^;)
それはともかく、今このタイミングで東国三社巡りをしたら、とっても楽しめそうだ。訪れるたび新しい気持ちになれるのは、良く出来た映画を観るのと同じだ・・・
とても良い空間に存在できることに、いつも感謝しなければ・・・
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように