鹿島神宮 なんと初めて・・・ (3/13) |
日本としてもかなり重要な神社に、ようやく参拝してきた。
灯籠にはご神門と卍が。かつてあった「鹿島神宮寺」由来か・・・
多くの神社同様、表向きのご祭神の裏にある、もともとの土着の神に非常に興味がある、というのが5年前の自分との大きな違いだ。後付けの人間由来の神でなくせめて自然由来、まして勝つとか負けるとか、区別を超える概念、神、愛にたどり着きたいのだ。それはうろうろして探すもんぢゃない、ってことも分かっているのだが(^^; (→主祭神「鹿島さま」について後述)
境内で特筆すべきは、とにかく森が、木々が素晴らしい・・・
この清々しさと雰囲気は、岩木山神社を想起させる・・・
1634年造営の楼門は、日本三大楼門のひとつ。「昭和15年の大修理の際丹塗りとし、昭和40年代に檜皮葺の屋根を銅板葺にしました。」とのことだが、中から見ると、、、
き、気になる・・・ とても。何なのだろう? とても象徴的だが、今のところよく分からず・・・
そして、またも御幣をいただいてきました。今回は赤い荒神様の御幣。神棚が御幣だらけに・・・
追記) イカヅチ? ・・・主祭神「タケミカヅチノオオカミ」の基本性格が雷神であることを示しているようだ・・・
そして参道に直角に配された拝殿。ヤマト政権による蝦夷進出の拠点であり、軍神として信仰されたとのこと。よって本殿は北を向いている。いわば制圧の証の拠点。
奈良の鹿のルーツである鹿島神宮だが、現在の鹿はその奈良からの逆輸入(?)とのこと。
ここを含め鹿の灯籠は見かけるが、香取神宮で想像したほど見かけなかった、、、 香取神宮のほうが鹿だらけだった印象があるのだ。そして、鹿をあしらった灯籠はみな、新しめのような・・・
以前、鹿島より香取のほうが本当のルーツ、のような情報を見たような気がするのだが、それにたどり着けない、、、
建物として一番惹かれたのは、なぜか1617年造営の仮殿(かりどの)だった。
2回移動している。
香取神宮のときにも書いているが、まったく同様で、主要な建物はすべて屋根がとても美しい・・・
奥宮までは、森林浴ゾーン。露出して地を這うように張りめぐらされた木の根は、ヘビを連想させるが、十和田神社のようにヘビに遭遇することはなかった。
この日の寒さは尋常じゃなく、3月なのに手袋をしていない手が赤く、かゆくなるほど。陽は雲に遮られ、森は薄暗い。そして小雨まで・・・ そのぶん、神気は高まっているに違いない、ラッキー! と喜ぶ(^^;
現に陽があるより、荘厳な、雰囲気のある写真が、、、 あまり撮れてなかった(^^;
ここ、奥宮の屋根には、ガイドの方々が口を揃えて教えてくれる、ハートが・・・ さてどこでしょう(^^;
御手洗池では、池の上に、そして鳥居の上に覆いかぶさる木の威圧感。ヘビ、いや、やはり龍神か・・・
境内でヘビや龍を想起させるシルエットにやたら出くわす。
御手洗池では御手洗団子をいただく・・・
そのさらに奥、うっそうとした木の中に隠れている大国社。地面ぐちょぐちょだったが、ここは素通りすることはできなかった・・・
そもそも主祭神の武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)より、タケミナカタが気になる。そして諏訪神社・・・ 特定の場所に「何か」を求めるべきではないが、やはり長野は気になる。戸隠神社も・・・
特定の場所に何かが宿っているわけではない。自分の心が自分にとっての聖地を作り出しているだけだ・・・
そして御手洗公園入口の鳥居跡。いつ倒れたのか、ちょっと調べても分からなかったが、やはり正面の大鳥居と同様、東日本大震災で倒れたようだ・・・ 地面にはそのときにできたのであろう鳥居型の窪みがハッキリと残る・・・
とっても清々しく気持ちのよい空間で癒されたが、残念ながら感覚的「何かしら」は感じられなかった。もっとも、そんなものを期待して訪れるのもおかしなことだし、自分のような鈍感な部類の人間がそれを求めるなら、まずは神田明神、ではないかと最近思う・・・ そして実は鹿島神宮の鹿、「昭和32年に奈良より春日の神鹿を3頭、東京の神田明神より2頭をいただきこの鹿園が開園しました。」とのこと。神田明神ともつながっていたのか、、、
タケミカヅチノオオカミについて追記) 『「日本の神様」がよくわかる本』(戸部民夫・著)で「鹿島さま(武甕槌命(タケミカヅチノミコト))としてかなり大きく取り上げられていたので、簡単にまとめておく。やっぱり龍っぽい・・・
・鹿島神は、もともと常総(千葉北部、茨城南部)地方の土着の神
・鹿島神をタケミカヅチ命と呼んで大和政権に深く結びつけたのは中臣(のちの藤原)氏
・中臣鎌足の出生地は常総地方といわれ、中臣氏一族は古くから守護神として鹿島神を信奉
・ミカヅチはおそらく雷神のイメージからの命名
・もともとは水神(農業守護)であり、また、鹿島が陸と海の境界であり境界神でもあった。