自分の源流:タミヤグランプリ・コンクールデレガンス賞(古) |
小学生の時は行きつけの模型屋主催のポイントレースで年間総合2位、そのうちの1戦で初めてのタミヤサーキット。マイクロバスで行き、工場見学もした。
以下はその後、公式のタミヤグランプリでいただいたコンクールデレガンス賞の写真。公式には3回しか出場しておらず(地方に引っ越してしまったため)、3回目は気合いを入れてF1をタミヤマークに塗り分けるも、ノーズに大量の接着剤をこぼしてしまい、賞を逃す・・・
第1回 ジュニアチャンピオンシップ。
007で好きになったエスプリをフルスクラッチ。出来は今だと通用しないかも。たしか決勝に進むもウォールに激突、大破。パテとプラ版でボディ重すぎて、耐久でもないのにバッテリー交換したような記憶が、、、
第6回 フレッシュマンミーティング。カウンタックをパトカーに。
出来は粗いが、なぜかコンクールデレガンスの紹介パンフに載った。パンフは大学の芸術のレポートに添付して返ってこなかった・・・後悔しきり。
「パトカーだから常に追跡することになってしまう」というアナウンスに感心しつつ、決勝に進めず(^^;
昔は木枠に写真を貼ってくれていた。30年も経つと写真が色あせてしまうが、スキャンして画像調整(自動レベル調整)するだけで生き返ってくれるのがありがたい(^^
今となってはこの程度の出来では、受賞は難しいか、、、 シャーシもかなりいじっていて、車高も下げすぎ(^^;
当時は他社パーツが許されていたようで、AYKのバンパーやギヤボックスを使っていた・・・
横浜から静岡へは、始発で。当時の賞品は、この盾とタミヤカラーのスプレー缶6本。つい最近までそのスプレーが自宅に(^^;
小~中学生だった自分らは、常にその模型屋に集う大学生たちの背中を見て、交流しアドバイスを受けつつ、RCを改造し、ガンプラを改造し育った。大学生中心でRCカーチームも存在し、タミヤニュースのチーム紹介にも載ったなぁ、、、
そんな「場」を作ることはできないだろうか、もしくは、構成する一員になれないだろうか、と画策中・・・