『TOKYO 0円ハウス 0円生活』 坂口 恭平 |
しかも一人で夜の常磐橋を眺めつつ紙パック酒でたそがれたりしているときはなおさら・・・
ここ数年はいつも、真の独立した地域コミュニティは、最低何人くらいから成り立つのか、ということばかり考えていた。生活の大部分を既存の経済システムに頼らないコミュニティだ。
過去に栄えた異国の文明なども参考にすると、やはり数百人規模か。千葉県などで日本初のモデル地域を作ってくれないものか(他力本願・・・)、と思ったものだ。
長じて、千葉は難しいかもしれないが、例えば北海道が「そんな思想」の下、完全に独立したりしないものかなんて思うことも。革命は成功とも言われるアイスランドの現状も知りたい・・・
すでに実践されているコミュニティで自分が知っているのは、ふぐり玉蔵さんの「疎開村」だ。きっと似たようなコミュニティは同時多発的に発生しつつあるのだろうし、密かに成功しつつある地域通貨もいくつかあるのかもしれない。
思うことなんて、たいがいつながっていて、誰かも、たくさんの誰かも思っている。世の中の人間を二つに分けるとすれば、「思っていてもやらない」か、「思ったらやる」かなのだろう。
あるとき、いつも読ませてもらっているブログで、「坂口恭平」なる人物を知った。上の二つの人種で言えば、バリバリの後者だ。しかも地域コミュニティどころか、「独立国家の総理大臣」を名乗っている。素直に感動した。そしてそのいきさつ(震災がらみ)を知り、ますます感動した。
新刊の『独立国家のつくりかた』を買って読むべきなのだろうが、とりあえず、図書館で予約なしで借りることができた氏の5年前の著書、『TOKYO 0円ハウス 0円生活』を読んでみると、最初に書いたようなことも実践し、形にしていた。読んでいくうち、なぜかいろいろな共感とともに、「忘れかけていた自分」がおぼろげながら見えてきた・・・
冒頭に、氏はこう書いている。
「僕は新聞記者ではない。テレビ局の者でもない。支援団体の人間でもない。大体、職業がはっきりしていない。
*** 中略 ***
じゃあなんだ。僕もよく分からない。なんでこうなってしまったのかは徐々に説明していこうと思っている。しかし、まぁよくもこういうあいまいな状態でいるもんだと自分でもびっくりしてしまう。いつかきちんと分かりたいものだと願ってもいる。
簡潔に説明すると、僕は大学では建築の勉強をしていた。元々は設計・デザインを専攻していた。しかしそのまま設計事務所などで設計活動を始めて都市の中に建築物を作るのではなく、現在は路上生活者の家などを調査したりしている。」
自分はここ何年か、どうにかして「自分を限定すること」を止めようとし、し切れないでいる。
マルチに、あいまいに生きるのが向いていると分かったからだ。せっかく分かっても旧態依然の「アタマ」がついてこない・・・
氏は2007年1月、ケニアの首都ナイロビの世界社会フォーラムに参加し、そのときの街の様子をこう語っている。
「ナイロビにはプロフェッショナルではない素人のデザインが溢れていた。それは、ぎゅっと締め付けられそうなくらい窮屈さを感じさせるナイロビという大都市に、隙間風を吹かせていた。力が抜けるのだ。
そうしたデザインは、自転車だけでなく、車にも施されていた。路線バスにもだ。そして、街では手作りのヘンテコなものが色々と動いていた。」
小学生から中学生の頃、自転車(ロードマン)にバッテリーを積み、クルマやバイクのクラクションを7つほど付け、クルマのフォグなどを合わせライトを前後に10灯くらい付け、挙句の果てにハンドル上に紫のパトライトまで付けて街中を疾走していたことを思い出していた。
クラクションで「ひとり渋滞ラッシュ」を再現したり、夜のパトライトでクルマがみんなきちんと一停したり・・・ 迷惑な(?)ガキであったことは間違いない。
そして「家」について。
震災でその頃のわが家は、けっこうなダメージを受けた。
およそ3週間の上下水道やガスのない生活、直せるところは自分で直そうと地面を掘ってパイプをつないだり、「計画」という名に?マークの計画停電を経験したり、壊れた門を自作したりしながら、上下水道など家を構成するものの基本構造が分かってくるにつれ、自分の中で「家」に求めるものが大きく変わっていった。
家の基本的な構成は、すべて自分の理解の範疇にあるべきと思うに至ったのだ。
自分で直せる家、カスタマイズできる家。公共のライフラインから遮断される必要はないが、少なくともそれに100%頼るのはゴメンだと思った。そして、業者に頼まなければどうにも復旧できないということも・・・
この本では、「0円ハウス」は「水、ガス、電気、下水の設備に、何一つつながっていない」ことと、現代日本の当たり前の住宅を比較し、以下のように書いている。
「また、いろんな設備を必要とするから住宅というものが巨大でガチガチなものになってしまっている。家は本来もっと修理しやすいものであるべきである。もっと簡単に作り替えたり、移動させたりできるものである。
*** 中略 ***
また、家を壊してまた直してという作業が2時間弱で終わるというのも注目すべき点である。家はそれぐらいで作れるものでいいのではないか?
僕たちは家というものについて、建てるのが困難である、時間がかかる、お金がかかる、修理なんて簡単にはできない、と思い続けている。だからこそ家というものと人間との間に距離ができてしまっている。」
そして終盤、大学の卒業設計を紹介している。
「その当時、僕は全く設計をやっていなかった。最後の卒業設計は、
「移住ライダー」
という名前だ。これは何かというと、ある寿司屋から格安で譲り受けた宅配用バイク、ホンダのキャノピーの荷台に小屋を載っけて、自動車のリクライニング式の座席をくくり付け、トラック野郎かモッズ少年のように電飾を配線し、サウンドシステムを完備したバイク住居を作り、そこに住みながら移動している僕自身を撮ったドキュメンタリーだった。「貯水タンクに棲む」と同じようにビデオ作品だった。やけくそと真剣が混じった変な作品に仕上がった。
もちろん、点数は最低だった。」
このバイクの写真を見て、さらに昔の記憶が甦り、ゾクゾク、ワクワクした。幼少の頃は紙で自転車をサイクロン号に仕立てていた。高校になると、片道10kmの通学路を毎日走破すべく装備はクラクション1つにまでそぎ落としたものの、冬の雪国で片道10kmのチャリ通というのは、まぎれもなく地域のバカヤロー的なパフォーマンスだったはずだ。
いつから「自分」を辞めてしまったのか、、、
「おわりに」で氏は次のように述べている。
「*** 略 *** 僕の仕事の状況も、今まで以上にいくつもの要素が混じり合い絡み合い、まさに混沌としている。この本を書き終わった今も、自分の職業を的確に言い表す言葉は見つからない。
しかし、もうどうでもいい。なぜなら今回、鈴木さんとの間で巻き起こった熱は、自分の中でこれまで続いてきた衝動と連続性のあるものだったからだ。これがまさに僕が一番伝えたいことなのだ。」
そう、そんなことはどーでもいー! のだ(^^; (@スシ王子)
たまたま観た動画の中で坂口氏は熱く語っていた。「君自身が「貨幣」だ。暴れろ!」と。
『独立国家のつくりかた』は、ちゃんと購入して読もう、、、