浅草 |
浅草はずいぶん行く機会があったのだが、今まで肝心な部分を見逃していた。
(以下文中の年代、記事、内容の信憑性については一切責任を持てません。
あしからず(__))
言わずと知れた雷門。 の提灯の下の彫刻(^^;
雷門の正式名称は「風雷神門」。 現在の門は1960年に再建されたもので、提灯は松下幸之助の寄進なので、「松下電器」の文字が。
これが本日のメインエベント、二天門。
もともとの名前を「随身門」。
ほとんどを戦災で焼失した中で焼け残った貴重な門。 1618年建築。
門の先にあった東照宮は焼け落ち、今は無い。
こちらは二天門の提灯の下。
提灯は何年製なのかな?
ちなみに雷門が1865年に焼失するまでさがっていた提灯には、新橋の信徒から奉納されたということで「志ん橋」の文字が書かれていたそうな。
そして現在の本堂の提灯にはおそらく「志ん橋」の文字が、、、
そもそも浅草寺はその起源628年とのこと!
しかし、最も古いもので二天門(1618)、六角堂(室町と書かれている本もあるが、現地の説明では1618年建築)。
東京でこれより古い建造物を探そうと思う、、、 いかに建物が残っていることに価値があることか・・・
この「やれ具合」がたまらんのです。
モノホンの古さ、歴史です。
もうひとつ、古い建物ということで浅草神社があるはずなのだが、見た感じでは組物などの造りからも古さは感じられなかった、、、
1649年建立の社殿とはいずこ?
右は奥の建物の屋根。 これだろうか?
ウィキペディアに割と情報は載っているものの、なかなか信頼できる情報がまとまって載っている本やHPを見つけられずにいる。
そしてこれが、六角堂。 小さなものではある。
現地説明書きには1618年で浅草寺内最古、と書かれている。
はたして、、、?
ちなみに別な場所から平成6年に移設されたとのこと。
現在、マイベスト建造物は、東大寺の南大門。
これも1199年に再建されたものとのことだが、二天門の倍の年代を生き抜いてきた証が現れている。
この「やれ具合」を目の当たりにしたときには、毛が逆立つ感動を覚えた。
しかし、奈良・京都は遠いのである・・・
鎌倉には鎌倉時代のものが残っているのだろうか、、、
次回は綿密に予習して行くぞ。
よくぞこのまま残してくれている(^^
もっとも、はげ落ちた色は、いつの時代に塗り直されたものかは分からないのだが、、、
上野の東照宮が、やはりよくぞこのまま残してくれている・・・ なのである。
悪く言えば「保存状態が悪い」なのだが、うかつにレストアされてしまうのもいかがなものか、と最近思うのである。