香取神宮と息栖神社 (9/19) |
久しぶりにクルマで千葉県内を遠出(というほどでもないか(^^;)。
ただし息栖神社は茨城県。
実に麻賀多神社以来、4ヶ月経っている・・・ うーん、、、
■香取神宮・・・御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)(又の御名 伊波比主命(いわいぬしのみこと))
香取神宮は心に迷いがあって道を定められないとき、鹿島神宮はやるべきことが決まった後にお参りに行くと良いという情報を見かけ、今回香取神宮にお参りすることにしたのだった。
写真は香取神宮の灯籠。
神鹿のルーツは鹿島神宮だが、三社とも灯籠には神の使い、鹿が彫られている。
また、鹿苑は香取神宮にもある(境内の奥)。
楼門は元禄13年(1700年)、綱吉公の造営による。
掲額は東郷平八郎元帥の筆による。
「見かけでだまされてはいけない」と肝に銘じてきたはずなのに、キレイ=新しいという思い込みでろくに見ず(^^;
逆に、古そうに見えるこの拝殿、昭和15年、皇紀2600年を記念し、国費によって建て替えられたものとのこと。
本殿脇の「三本杉」は圧巻。
源頼義が、「天下太平、社頭繁栄、子孫長久、此の三つの請事(ねぎごと)成就 有るべくば、此の杉自ら三岐(みつまた)に分れん」と祈願すると、杉は三枝に分れたと伝えられている。
真中の一本は枯れ幹だが、中に入るととても癒される。
本殿は拝殿の後に、幣殿によってつながっている。
とにかく屋根が美しい。
楼門と同じく元禄13年(1700年)、綱吉公の造営による。
それ以前は20年ごとに建て替えられていた。
御神木は拝殿に向かって右手にある、樹齢千年余りと伝えられる杉の巨木。
境内にはかなりの巨木がそこかしこに。
緑が深く、涼しげなのに境内では明らかに「熱気」を感じるのは、武芸の神の荒ぶるパワーか?
素盞雄(スサノオ)神社でも同じように感じたが、共にただ暑かっただけか?・・・
この地方の地震発生を抑えているという「要石」。
「香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。」(HPより)
奥宮は「旧参道の中程に鎮座。経津主大神の荒御魂を祀ります。現在の社殿は、昭和四十八年伊勢神宮御遷宮の折の古材に依るもの。」(HPより)
香取神宮から15kmほど、利根川を渡って息栖神社へ。
■息栖神社・・・御祭神は岐神(くなどのかみ)を主神とし、相殿に天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、住吉三神をまつる。
宗教の壁を越えたピースポール2本がお出迎え。もちろん香取神宮にもあった。
こちらを訪れたのは、御祭神のミステリアスさに惹かれたことも理由のひとつ。
水門から一の鳥居を望む。
東国三社のひとつというにはあまりにものどかだ。
もちろん、自分にとってはそれは「良いこと」だ。
この心の落ち着きは、大悲願寺で味わった感覚に似ている。
香取神宮もここも創祀はとても古く、境内にはいろいろな歌が詠まれ残っている。
一の鳥居の両側に小さな鳥居がある。
その下にはそれぞれ、清水が湧いており、「日本三所の霊水」のひとつだ。一帯が海であった頃から清水が湧き出ていたため、忍潮井(おしおい)の名が付けられた。
向かって左が男瓶。ちゃんと見えれば銚子の形をしているのだが・・・
社務所の方のお話だと、今年の猛暑で今までになく藻のようなものが出てしまい、一生懸命掃除してもなかなか澄んだ状態にならないとのことだ。
右が女瓶。
昔はここまで海で、これらの鳥居自体が海面下から立っていたということで、その頃の写真も社務所で見せていただいた。
現在、清水は境内手水舎までひかれているとのこと。龍から出てくるその水は、確かに冷たく、美味い水だった。(毎年水質検査をしているとのこと。)
この水を、結ばれたい男女で飲み合えば・・・
女瓶のアップ。
ちょっと意味深な土器の形をしている
一の鳥居と水門。
水門の内側には船が係留されている。
さて、ミステリアスなところといえば、主祭神の岐神、カラーパンフレットでは「久那戸神(岐神)」と書かれ、Wikipediaでは岐の神(ちまたのかみ)と表される。
路の神であることは間違いないが、同一神?
そして、周辺の「猿田」姓の多さも手伝って、猿田彦大神と同一ではないかという話も。
どうもちょいちょいサルタヒコに引き寄せられる気がするのだが、実はこののどかな景色を眺めたかったというのも、ここを訪れた理由のひとつだ。
ここも、かなり贅沢なスポットだなぁ、、、