日本橋の歴史。 |
けっこう調べてまとめるのに手間がかかっているので・・・
日本橋自体は今までも何度か記してきている。
>>夜の日本橋
>>日本橋道路元標
>>日本橋上、首都高の橋脚
■日本橋 (中央区) : 日本の首都の中央橋で、橋中央に道路元標が埋め込まれている。
1603年、徳川家康により江戸開幕の折に創架され、翌年2月に五街道の起点と定められる。
後、現在の石造のものになるまで架け替え、改築、修復など、記録に残るものだけで19回を数える。
現在の橋は1911年建造の石造、二連アーチ橋で、表面に露出する部分はすべて花崗岩を用いている。
建築家 妻木頼黄(よりなか)がアート・ディレクターとして装飾の全体像をまとめ、完成まで2年3ヶ月、52万円の工事費(当時)、延べ10万人の労働力を投じた。
橋詰め4カ所に漢字とひらがなの橋柱文字レリーフがあるが、これは15代将軍徳川慶喜公によるもので、当時の東京市長尾崎行雄から揮毫を依頼され、快諾したとのこと。
昭和47年(1972年)、柱状の道路元標は橋の北西側たもとに保存され、撤去跡には、50cm四方のブロンズ製の「日本国道路元標」(文字は時の総理、佐藤栄作によるもの)が埋め込まれた。
東京オリンピックを控えた昭和38年(1963年)、日本橋上空に開通した首都高速道路。
現在その下面の照明に照らされる日本橋は平成11年(1999年)5月13日、現役の国道道路橋で初の重要文化財に指定されるとともに、獅子、麒麟像、照明などの装飾品の修復がなされた。
麒麟には普通、翼はないが、里程の原票であるところから、天翔る意を表すために翼(ヒレ)を付けたとのこと。
「ただ、橋の中央部に立つ照明灯の両脇にひかえた二頭の麒麟が、青白い瞳を光らせて加藤を見つめていた。」(帝都物語 第壱番:荒俣 宏 より)
(本文内容は、主に中央区ホームページの広報誌中の記事「区内散歩」、および「日本橋地区都市再生事業」のホームページを元に構成しています。)
~転載ここまで~
ちなみに、都内の石造アーチ橋としては、ここではおなじみ「常磐橋」の方が古い。(1877年:都内最古)
そこで、「日本最古の石造アーチ橋」を調べると、長崎の「眼鏡橋」、日吉大社の「日吉三橋」、沖縄の「天女橋」など(さまざま(^^;)が出てくるが、どうやら、
・日本で最初に架けられた石造アーチ橋 : 眼鏡橋(1634年)
・現存する日本最古の石造アーチ橋 : 天女橋(1502年)
ということだろうか。日吉三橋についてははっきりした年代を確認できなかった。
また、「都内最古の石橋」は「浅草寺の石橋(しゃっきょう:1618年)」のはずだと思うが、小石川後楽園の「円月橋」だという情報が(^^;
小石川後楽園には2度行って、円月橋も見ているが、どうだったかなぁ・・・
でも、「徳川光圀により」とか書かれていたりするんで、その時点であやしい情報ですね、、、
(※徳川光圀 : 1628-1701)